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そんな風におぼえていてくれるとは思ひがけなかつた。
「うん、おれもこないだ通り合せたんだが、前を山支度の娘が寵をかついで歩いているんだな、するとやつぱり大声でからかつとつたよ」
で、この間に、いくらかそゝつかしいところのある、換言すれば、済んだことにはあまり気をとられない現実的な気質の房一は、たつた三十分前に盛子から聞いたときのあの驚きを忘れていた。一先づ用は片づいた。今日は別に往診もなかつた。で、かういふときの癖で、彼のあのはまりのいゝ廻転椅子に身体をうづめ、ぼんやりとした考へに落ちたのである。
と、全然ここの温泉を軽蔑しきっていたそうで、婆さんが絶え間なくタオルで全身摩擦しながら意地ずくでつかっている温泉とは何度ぐらいだろうと興にかられたが、調査もせずに引越した。
房一には連れが二人あつた。
後で馬がいないと云ふので騒ぎだつた。
「はあて、神主さんになるのもえらいもんだのう」
「どうしたい、君はその恰好をまだ見せたい気かい」
「そんなことができるもんかねえ」
「畜生、おぼえていろ。」
一番はしの家はよそから流れて来た浄瑠璃語りの家である。宵のうちはその障子に人影が写り「デデンデン」という三味線の撥音と下手な嗚咽の歌が聞こえて来る。
「一つ着て見せたらどうです?高間さんにはきつと似合ひますよ」
小谷はしばらく放つていた糸を手許にひきよせて、水の中の鮎を眺めながら云つた。
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