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    と、房一は小谷に向つて訊いた。

    「いつこちらへお帰りでしたか」

    徳次は、その云ひ慣れない「往診」といふ言葉を口の中で物をころがすときのやうに珍しげに云つて見た。何か特別な響きがあつた。その時、急に彼は房一が医者だといふことを思ひ出していた。

    男はじろじろと房一を見ていた。

    だが、その幾日かも過ぎると、又あの、恐るべき変化を蔵しながら一見何一つ変つたこともないと感じさせる、単調な何気ない日々がつゞいた。何かしらはつきりし、又何かしらとりとめもなく、空は冷い輝きを増し、山々の稜線はかつきりとし、葉の落ちつくした雑木山はずつと遠くのものまでが殆ど信じられないくらいの細かい枝を無数に目に見させ、ブラッシの毛並みのやうな渋い赤褐色をどこまでもどこまでも拡げていた。

    「ほう、さうか。毎年あるのかね。そいぢや、これから度々見られるわけだな」

    「袴はそこですよ。足袋を先きにはくのよ」

    川沿ひから分れた路は段々になつた切株だらけの乾田に沿つて、次第上りに、両側はゆるやかな山合ひに切れこんでいた。

    江戸時代には箱根の温泉まで行くにしても、第一日は早朝に品川を発たって程ヶ谷か戸塚に泊る、第二日は小田原に泊る。そうして、第三日にはじめて箱根の湯本に着く。ただしそれは足の達者な人たちの旅で、病人や女や老人の足の弱い連れでは、第一日が神奈川泊り、第二日が藤沢、第三日が小田原、第四日に至って初めて箱根に入り込むというのであるから、往復だけでも七、八日はかかる。それに滞在の日数を加えると、どうしても半月以上に達するのであるから、金と暇とのある人々でなければ、湯治場めぐりなどは容易に出来るものではなかった。

    「ほう、往診かね」

    と、彼は恐しく手まどつて答へた。

    「なにしろこんな狭い田舎ぢやから、何事もねつうやる。それをやらんと後がうるさい。自然評判を落すといふことも起るかな」

    「今晩、寄せてもらつてもえゝですか」

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