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    ところが、何の気なしにいつものきよろんとした目つきでその方を眺めていた徳次の顔には、その時不意打を喰つたやうな表情が浮かんだ。彼は緊張して眺め、さつと顔を紅らめ、力りきんだやうになり、それから急に下こゞみになつて水洗ひの仕事にかゝつたが、明かに上の空だつた。彼は始終落ちつきなく対岸の路を眺めやつた。そしてやはり、紅らんだり力んだりした。

    と、思はず房一の微笑に釣りこまれて、練吉は気がるな笑顔になつた。いつのまにか、かた苦しい「わたし」から「僕」といふ云ひ方になつたのも気づかないで。

    答へながら、他人ごとのやうにずばずば何でも話してしまふ喜作の飾り気のなさに、驚いていた。

    男は始めにびつくりさせられて、今さう聞くと多少のみこめて来た様子であつた。どこも悪くないと云はれたこともうれしかつたらしい。房一はその腕をひつぱつて顕微鏡の前につれて行き男にのぞかせた。

    控へ目に坐つて、注いだ茶碗を盆の上に揃へると、

    房一は怒つたやうな嘲あざけるやうな調子であつた。その顔は何故か黒ずんで見えた。そして、目がぎらついていた。

    宿の浴衣ゆかたを着たままで行く人もあるが、行儀の好い人は衣服をあらためて行く。単に言葉の挨拶ばかりでなく、なにかの土産みやげを持参するのもある。前にもいう通り、滞在期間が長いから、大抵の客は甘納豆とか金米糖とかいうたぐいの干菓子をたずさえて来るので、それを半紙に乗せて盆の上に置き、御退屈でございましょうからといって、土産のしるしに差出すのである。

    と、云つた。

    と、敬遠するとも小莫迦にするとも見える頭の下げ方をして、さつさと行つてしまふのであつた。

    この路をそんな恰好で通るのは近くにある営林区署の役人か発電所の技手ぐらいのものだつた。だが、そのいづれでもないことは、段々近づくにつれて目につくあまり見かけない猪首のやうな肩つきと、自転車のハンドルにしがみついたやうに見えるその円まつちい体躯、それらの印象の与へるひどく不器用な乗り方などによつて、すぐと知ることができた。

    男はじろじろと房一を見ていた。

    「先生お帰りになりましたかね」

    「いや、――わしはそんなこたあ嫌ひだ」

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