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張りのある、いくらか甘えやかな、跳ね上るやうな盛子の声を、その男はいかにも耳珍しげに一つ一つとつくりと聴いているやうな様子でいたが、そして台所からさす電燈の明みの中に立つた盛子をまじまじと眺めながら、その遠慮深い調子の中に急に溢れるやうな親しみを浮べた。それは何だかこの男が幼い時分の盛子をよく世話してくれて、何十年かたち、今ふたゝび盛子を前にして昔を思ひ出した、とでも云つた様子だつた。
「うん」
「それとも、あれかね。やつぱり日露戦争のときみたいに、船で吉賀の先の浜へ上つてそれからやつて来るんかね」
「さうだつてねえ」
徳次はいつのまにか腕組みをしていた。あのあてずつぽうな、そゝつかしい、力りきんだ様子が現れていた。
その頃、紙衣かみこの神主達の行列は町からかなりはなれた河向ふの路をぞろぞろ歩いていた。
相手は何か答へたらしかつたが、房一のところへは聞きとれなかつた。今まで静まりかへつて事の成行を見まもつていた人だかりが急にどよめいたからである。そして、柵の向ふでは、相手になつている男のうしろに出張所側の連中がかたまつていた。その長身の男も今更後へはひけないと云つた様子だつた。その時、房一の肩をまだ押へつゞけていた練吉の手が痙攣するやうにふるへた。
だが、急に機嫌をとり直した。そして、徳次が彼の口から聞くことでどんな表情になるかを期待しながら、ゆつくり相手の顔を見て云つた。
さつきから、日のあたる縁側近くに縫物を持ち出していた盛子は、あんまりびつくりしたのと身体が重いのとで、立上ることを忘れてかう感嘆詞を連発しながら、あの語尾の跳ね上りを少し響かせながら、庭先に現れた人影に向つて目を瞠みはつていた。
そこから元来た路を引き返した房一は、行きがけには通りすぎた千光寺の山門を潜つた。広い人気のない寺庭には九月の日が明く冴えて、横手の庫裡くりに近い物干竿では真白な足袋が二足ほど乾いてぶら下つていた。そのしんとした庭の中をまつすぐに庫裡の方へ横切つてゆくと、いきなり
家督を継いだ文太郎が間もなく酒造業をやめた時に、直造は少からず不満だつた。文太郎は種々の理由から説得した。が、最大の理由は法学士だつた文太郎が帳付よりも地方政治に興味を持つていたことにあるらしい。果して、文太郎の濫費のために一時は不動産の大半が銀行担保に入つたことがある。直造は不機嫌だつた。しかし、欧洲大戦が始つて以来の好景気が鍵屋の財政を持ち直しはじめていた。
やがて、鈍のろい、呆ぼけたやうな返事をしながら、房一の湯上りでよけい赤紅あかく輝く顔がのぞいた。彼はゆつくりと兵児帯をまきつけていた。だが、その様子とはおよそ反対な強きつい、きらりと光る目で、盛子のうしろに、半泣きになつた、取乱した青い顔で立つている徳次の妻、ときを見た。
初めて胎児が動いたとき、何といふ快い驚きだつたらう、何といふ不思議な、又微妙きはまるものだつたらう。その生命に独特な閃くやうな動き、内側からかすかにお腹の皮をつゝぱるやうな気配がし、やがてふいにびくびくつとしたり、ひよつととまつたかと思ふと又はじめて、今度は一層力強く永くぐい、ぐい、ぐいとしたりする、そのうごめきはすでに完全な手足あるものとしての形を感じさせ、もう今から盛子に何かを要求し、甘えかゝつているかのやうであつた。
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