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    と、一向にそんなことを知らない房一が云つた。

    「これから又お出掛けかね」

    「おい、ビールは冷やしてあるかい」

    「あれですな、さういふお話をうかゞふと、貴方ほどの努力家は東京に残つて研究をつゞけられた方がよかつたかもしれませんな。よく又、こんな田舎に帰る気になりましたね」

    今日見るその顔は、色こそ黒かつたが、地蔵眉の、眼もそれに釣り合つて細い糸を引いたやうにやさしかつた。だが、その声には何かきつぱりした、率直さが感じられた。

    膳が運ばれるまでの間、皆は行儀よく坐つておたがひに向ひ合つた顔を見くらべていた。それは改まつた、殆ど無表情に近い顔ばかりだつた。だが、さりげなく見合ふことだけは止めなかつた。その中で、房一は特に皆の注意を引いた。その無骨な容貌だけでも目立つのに、殊に彼は今夜の席では殆ど唯一と云つてもいゝ新顔だつた。彼等は今更のやうに気づいた、はるか下座の方に何となく場慣れのしない様子で坐つているのは、近頃医者になつて帰つて来たといふ噂のあつた高間の三男坊だといふことを、そこに団栗どんぐりのやうに何かむくむくした男を見た。

    さつきから、日のあたる縁側近くに縫物を持ち出していた盛子は、あんまりびつくりしたのと身体が重いのとで、立上ることを忘れてかう感嘆詞を連発しながら、あの語尾の跳ね上りを少し響かせながら、庭先に現れた人影に向つて目を瞠みはつていた。

    富田は庄谷の方に向きなほつた。

    「ほゝう!」

    と、道平は明かに盛子に気兼ねをしているらしかつた。

    房一は彼等の姿が消えてからもしばらくの間、ぼんやり元の椅子に腰をかけて、たつた今彼等がそこを曲つて行つた入口の土塀、それで一所だけ区切られた表の道路、その向ふに稍高手になつた畑地、といつたやうな物を漠然と眺めていた。

    「な」の字さんは翌年よくとしの夏にも半之丞と遊ぶことを考えていたそうです。が、それは不幸にもすっかり当あてが外はずれてしまいました。と言うのはその秋の彼岸ひがんの中日ちゅうにち、萩野半之丞は「青ペン」のお松に一通の遺書いしょを残したまま、突然風変ふうがわりの自殺をしたのです。ではまたなぜ自殺をしたかと言えば、――この説明はわたしの報告よりもお松宛あての遺書に譲ることにしましょう。もっともわたしの写したのは実物の遺書ではありません。しかしわたしの宿の主人が切抜帖きりぬきちょうに貼はっておいた当時の新聞に載っていたものですから、大体間違いはあるまいと思います。

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